アンパンマンと構造主義

橋爪大三郎の「はじめての構造主義」は面白い。クオリア構造のホームページでも推薦図書として推している。

橋爪氏は、途中で、構造主義と機能主義の考え方を対比していて、これが私が長年アンパンマン(のオープニングテーマ)にずーっと感じていたわだかまりにアドレスしてくれていることに気がついた。

構造主義では、モノの価値というものがあって、それに見合った交換が生じる、とは考えないらしい。むしろ、交換がされるようなモノには価値が生じる、と考える。

一方、機能主義では、Xというものは、〜と いう機能があって、(〜のためにあって)だから価値がある、と考える。

橋爪氏が言う通り、私は機能主義の考えはと狭いなぁと思う。機能が全くないものにもとんでもない価値が生じることなんて日常茶飯事だ。みんなが欲しければ、価値はたかまる。(ここで、ズルい機能主義者は後付で、「みんなが欲しがる」というのが機能だ、というのかもしれない)。

同じように、機能主義的に考えると、社会にとって役にたつから、コミュニケーションがある、と考える。その機能を良くするためにコミュニケーションを改善しようと考える。

だが、構造主義的には、コミュニケーションがあるから社会が成り立つ、と考える。

コミュニケーションに〜という機能があるから、社会に重要だというのは狭い。噂話、ゴシップ、雑談があるから社会・人とのつながりができると考える。人と話すのは〜という機能のため、と考えると、雑談の類は減らすべきと考えるかもしれない。(これもまた機能主義では、雑談には雑談の機能がある、と後付でいうのかもしれない。どっちにしろ雑談に関しては色んな面白い本があって雑談に関する考え方が最近変わった。)

「なんのために生まれて、なにをして生きるのか? 」

このアンパンマンの歌詞には、私の子どもがアンパンマンのビデオをよく見ていた時によく考えさせられた。一時期は、これを機能主義的に「子孫に遺伝子を残すため」とか「何かアイデアとか形として残すため」とか的に考えたこともあった。「自分より大きな存在、社会、家族、誰かのために生きるため」っていうのもありかとおもった時期もある。が、それもなんか納得行かなかった。

生きるから生物。何かをするから人間。と構造主義的に考えたらどうか? 答えってそういうことか?

「こたえられないなんて、そんなのはいやだ!」

こういう答えは、アンパンマン(の歌詞の作者)的には納得いかないかもしれない。だけど、中途半端な間違った機能主義的な答えよりよっぽどいいのでは?

なんのために研究するんですか?

いや、むしろ、研究してるから、人間として生きていられるのです。とか。

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